2012年2月16日木曜日

話すことと書くこと「心のゆとりが育む人間関係」について。

心のゆとりがはぐくむ人間関係
「貧しくなった日本人」という言葉をよく耳にするようになりました。そういった場面も増えてきているようです。経済的に貧しいのではありません。
周囲にいる人が話すのを聴いたり身近な人が書いた文章を読んだりした時の率直な感想です。
「どうも」という言葉が氾濫しています。お礼を言うときも、お詫びをする時も「どうも」ですませる人がすくなくありません。お礼なら「ありがとうございます。」の方が心がこもっているように思いますし、謝るときには「すみませんでした」の方が誠意が伝わるのではないでしょうか?
また、テレビを見ていると「すごい」が頻繁に登場します。若い人にも年配の人にも共通してみられます。
この言葉は「程度がはなはだしい」ことを意味していますから、「すごく○○です。」というべきでしょう。
ところが、「○○」を省略して、驚いた時も感動した時も「すごい」なのです。
相手に失礼な「ウッソー」
学生と話していると、こちらが何か言うたびに「ウッソー」と強い口調で相槌ちを打たれることがあります。
少しおとなしい学生は遠慮がちに「ほんとうですか」というのです。
自分の話が疑われているようで、あまり良い気分ではありません。
「ウッソー」は「あっそー」がなまった表現だという説もありますが、次々に登場する流行語に飛びつくのは
いかがなものでしょうか?
言葉は時代と共に変わるという側面もありますから、あまり神経質になる必要はないかもしれませんが、長い時間を生きてきた言葉には文化や伝統が息づいているはずです。画一化された「どうも」や「うっそー」ばかり使っていると、表現力も貧しくなると思います。
ゆとりの意味とは?
日常生活でゆとりがなくなると、自分のことだけで精一杯になってしまうでしょう。
それでは、相手の気持ちまで思いやることはできません。
その結果、人間関係がぎくしゃくしてくるのです。今の日本はまさにそうした状況になっていると思います。
会話をする時も文章を書く時も、自分が伝えたいことばかりを主張するのではなく、相手の気持ちや立場に
思い巡らすことが必要です。一方的に自己主張していると、自分の考えはなかなか相手の人に受け入れてもらえないものです。 反対に相手の気持ちを想像しながら話したり、書いたりしていると、スムーズなコミュニケーションが可能になるでしょう。その理由は、人は自分の考えを受け入れてくれる人に対して心を開くからです。
私たちが日常生活で話したり書いたりする目的は、自分の考えを伝えるためですが、その際に相手の事を思いやる
心のゆとりを忘れないことが大きな意味を持っているのではないでしょうか。